吉祥寺について

承元年間(1207~10年)、武田信光が甲斐源氏守護のため建立、毘沙門天像を安置したといわれています。
その後、信玄公が永禄8年(1565年)に堂宇を再建したと棟札に残ります。
欄間には武田百足衆(伝令隊)ゆかりの大ムカデの彫刻があります。

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県指定天然記念物 新羅桜(種類:エドヒガン)

山梨県指定天然記念物のエドヒガンザクラが本堂を覆うように咲き誇ります。
源頼義の三男、新羅三郎義光が植えたと伝えられる本樹の樹齢は約400年にもなります。
昭和28年の台風で倒伏し倒れた本樹から芽を出したものが受け継がれ、現在は4代目として一本の桜に成長しています。
倒伏した本樹から空に向かって伸びる本樹からはとても生命力の強さを感じることができます。

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本堂上部の鬼面

本堂上部には、鬼門除け(魔除け)の鬼面が施されています。

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夢窓国師ものがたり (吉祥寺略記)

十九歳の夏、青年僧は天然の絶景乾徳山に憧れ、その山頂近くの大自然の岩窟に座禅し、修行されました。

すると忽然として雛僧岩窟を訪れて青年僧に云う『吾れ大願あれば貴僧に毎暁乾柿を一個を供養したい、貴僧の半片の乾柿と和し日一果半となる、是を以って命の糧とすべし、然ろざれば貴僧の生命大悟に至らずして消滅せん我これを悲しむ』 青年僧はこれを聞いて怪異に思い雛僧に云う。『なんじ年少にして殊勝なり、然れども出家なき故は供養を受くるを得ず。包う吾が弟子たれ』と。

雛僧は快諾して師弟の契りを結び雛僧は『道満』と云う法名と木綿の袈裟を授けられ、雨の日も風の日も乾柿一個を手向けて、怠らず九十日過ぎました。

その甲斐あって修行が成満しました。師弟手を取り合って下山しました。しばし彩雲一抹の富士、銀蛇の笛吹、東に重畳の大菩薩領、 西に起伏する金峰、八ヶ岳南ア連領、道中の展望を眺めていったところ、常に先行して居った『道満』の姿が、はたとして消えてしまいました。青年僧は不審に思い『道満、道満』と呼び乍ら界隈を尋ねたが遂に道満の姿は沓として見当たらなかった。精根つきはて草 原にまどろむに道満夢に現れ、『ここ下りし里に霊仏あり』と告げきえてしまいました。

奇異の念抱きながら尾根を降り(現在も地名として道満山あり)徳和の里に入るにはたせるかな古刹、毘沙門堂がありました。拝するに厨子が自然にあき本尊様が『乾柿を貢いた道満の顔に瓜二つであった』あまつさえ与えた袈裟をかけ柿の種子が厨子の中に散乱してあり、青年僧は始めて感得し『かたじけなし』と七日間本堂に参詣 して報恩感謝の淨行をしました。この青年僧こそ室町時代の高僧夢窓国師であったと伝えられています。

またこの毘沙門堂でのおつとめを終えると疲れた僧はこの里の名取八ヱ門宅で快くお持て成しを受け疲れを癒し、里を降りました。

その後、56歳のとき乾徳山が見える場所に寺お建てました。 それが現在の恵林寺です。
※現在も恵林寺には八ヱ門座敷があります。

毘沙門天会式

毎年4月18日には、毘沙門天会式を行います。
※詳細はお問合せください。

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